「11.30シンポジウムー脱植民地化に向かう東アジアとその未来」報告

11月30日(土)、専修大学神田校舎内にて「11.30シンポジウムー脱植民地化に向かう東アジアとその未来」が開催された。主催は「11.30シンポジウム実行委員会」。約120人が参加し、会場は満席となった。専修大学の学生が約6割を占め、講師の李泳采(イ・ヨンチェ)さんの恵泉女学院大学、田仲康博さんが今春まで勤務していた国際基督教大学の学生の参加もあった。激動する東アジア情勢の中、日帝植民地支配の残滓を引きずる朝鮮半島の分断体制を揺るがす韓国ろうそく革命と、日米の軍事植民地支配からの脱却をめざす沖縄の自立解放闘争の展開という、互いに「リンク」(李泳采)しながら脱植民地化に向かう韓国、沖縄の民衆運動の過去・現在、「宗主国の側」(田仲)―日本の民衆運動に問われる課題を二人の講師が熱く語った。休憩をはさんで参加者からの質問に二人の講師が丁寧に応答、3時間があっという間に過ぎた。
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シンポジウムの後、沖縄・一坪反戦地主会関東ブロックの青木初子さんと日韓民衆連帯委員会の尾沢孝司さんからアピールがあった。青木さんは、「明治の琉球併合以来、沖縄の自己決定権が尊重されたことはない。3年前に高江で本土から派遣された機動隊員が『土人』という言葉を発した。沖縄への植民地主義は現在も続いている」と指摘。沖縄に対する日本国家の継続する植民地主義を問う「琉球人遺骨返還請求訴訟」への支援を訴えた。尾澤さんは、「日韓の焦点となっている徴用工問題で、韓国国会議長が主導して日帝による植民地支配の責任を曖昧にした『政治決着』をはかる動きがある」と指摘し、韓国国内で被害当事者を中心に「政治決着」への批判の声が高まっていることに注意を促した。「安倍政権は植民地支配の歴史に真摯に向き合おうとせず、対韓経済報復で排外主義を扇動している。被害当事者を無視した動きを許さず、日本の民衆運動ももっと行動すべきではないか」―尾澤さんはそう問題提起して発言を締め括った。司会からは専修大生が中心になって徴用工問題と歴史認識問題の学習会を一二月上旬に専修大学内で準備していることが報告された。

限られた紙面の中で、多くの論点と刺激的な問題提起を含んだシンポジウムの全貌を報告することはできない。以下に李泳采さんと田仲康博さんの発言の一部を紹介する。


「朝鮮半島問題と沖縄は歴史的にも軍事的にもリンクしている」(李泳采)
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「韓流ブームは続いているというのに、日本人の歴史認識はなぜ変わらないのか。本当に韓国が悪いのか」―講演の冒頭、李泳采さんは参加者にそう問いかけ、日韓の市民社会同士の対立を煽り政権維持に汲々とする安倍政権を厳しく批判した。「お互いに扇動に乗せられて、憎み続けて、『韓国人殺せ、出て行け』、『日本人沈没せよ』・・・これでは東アジアで第二の朝鮮戦争が始まるしかない。日韓の市民がお互いに理解しあうことでしか、東アジアの平和は造れない。戦争はみなさんの世代で起きる」。さらに李泳采さんは昨年の一連の南北首脳会談、米朝首脳会談の歴史的意義を説き起こし、「朝鮮半島問題と沖縄は歴史的にも軍事的にもリンクしてきた」と強調した。李泳采さんによれば、このことを象徴したのが、九年前の鳩山政権の崩壊過程だ。鳩山政権が普天間の辺野古移設の見直しを唱え、「最低でも県外移設」と訴えて、日米同盟を重視する防衛官僚や外務官僚から圧迫されつつあった二〇一〇年三月二六日に朝鮮半島西方海上で韓国海軍哨戒艇「天安」が爆発し沈没するという事件が起きた。若い韓国兵四十六人が行方不明となり、そのほとんどが死亡した。六月の韓国地方選挙の直前の五月二四日、当時の李明博大統領が、「北朝鮮魚雷説」を断定的に発表、「北朝鮮脅威論」が日本でも沸き起こった。鳩山政権は「県外移設論」を撤回、五月二八日に辺野古移設回帰の「日米合意」を発表、政権も崩壊する。「『北朝鮮魚雷説』で、だれが一番利益を得たのか。鳩山政権の『県外移設論』で頭を悩ませていたアメリカ政府ではないか」―そう李泳采さんは指摘した。

朝鮮半島と沖縄の「リンク」の象徴は、済州島にもある。「済州島は大戦末期に大陸から日本軍が押し寄せて要塞化を進め、沖縄同様に『日本本土防衛の捨て石』とされかけた。戦後は住民の抵抗を押し切って海軍基地が造られ、米軍艦船も利用している。敗戦前後の済州島の悲劇と軍事基地化は沖縄と共通している。沖縄と済州の連帯と平和の実現こそ、東アジアの平和のキーストーン」「沖縄に平和が無い限り、日本に、東アジアに、朝鮮半島に平和はない」とと李泳采さんは強調した。
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自身も「半分以上は参加した」という李泳采さんはキャンドルデモについても語った。「キャンドルデモで、朴槿恵大統領が弾劾され、文在寅大統領が誕生した。二〇一六年一〇月から翌年まで百万人のキャンドルデモが何回も起こった。ソウルはこの季節は寒い。一週間前にマイナス1度で雪も降った。3年前はマイナス十数度、そんな寒い時期に、毎週百万人近い人々がアスファルトの上で座って、民主主義を取り戻したい、政権を変えたいという執念で座っていた。半分が若い世代で、中学生も高校生もいた。韓国は一一月に高校生たちがセンター試験で入試競争。高校生に『入試は大丈夫なの』と聞くと、『いや私にとって大事なのは、歴史を自分が書き直しているということ。自分の入試のことはどううでもいい』―そう答えていた。この若者たちの犠牲的精神があり、キャンドルデモは成功し、朴槿恵大統領の弾劾を実現した」。現在の文在寅政権は内憂外患、支持率も五割を割り込んでいる。しかしキャンドルデモを成功させた若者たちがいる限り、徹底的な「積弊清算」の社会改革を掲げたキャンドル革命の灯が消えることはない―李泳采さんの発言の端々に、そんな確信が込められているように感じた。

最後に李泳采さんは会場の若い世代に呼びかけた。「『わかる』というのは英語でアンダーunderスタンドstand、ほかの人より自分を低くしたところで初めて真実が見える。上から目線では絶対見えない。アンダースタンドで見ていけば、見えないものが見えてくるし、聞こえないことが聞こえてくる。日本から外に出て、アジアをつなぐ、世界をつなぐ。それが平和を造ることになる。みなさんの未来も明るくなる」。


「〈首里城フィーバー〉と〈天皇フィーバー〉はどこかで繋がっている」(田中康博)
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「『令和元年』というが、沖縄の現実は昭和から何も変わっていない」-本年三月に国際基督教大学を退職し、四月から沖縄に戻ったという田仲康博さんは「何も変わってはいない」と繰り返す。「世界に三つしかない米海兵隊の司令部が私の自宅のすぐ近くにあり、書斎から見下ろすことができる。極東最大と言われる嘉手納基地も原子力空母が寄港するホワイトビーチも数キロしか離れていない。基地に囲まれて住んでいると、上空をヘリやオスプレイや戦闘機が日常的に飛び交う。何も変わっていない。いつも通りの風景が沖縄に広がっていた」。

それでも大きな変化がある、と田仲さんは言葉を継ぐ。「いまの沖縄には『首里城フィーバー』と『天皇フィーバー』があり、『自衛隊の前景化』が特徴的だ。自衛隊が増強され、宮古八重山諸島の要塞化も進んでいる。これらすべての深層低音となっているのは『国家主義の擡頭』ではないか」。田仲さんは、あまり知られていない首里城にまつわる戦前からの歴史に注意を喚起した。一九二五年に、「沖縄側からの要望」に応じる形で首里城跡に沖縄神社が創建される。首里城正殿が拝殿に流用された。もちろん「沖縄側からの要望」と言っても、明治国家による琉球併合直後のこの時代は、官選知事をはじめヤマトから派遣された役人や官憲が琉球社会を牛耳っていた。「首里城が消失し、玉城知事が内閣に頭を下げて再建を要請し、県の幹部が東京詣でをして、首里城早期再建の議会決議も続く。この状況は、戦前の沖縄神社ができた経緯と似ているのではないか」と田仲さんは指摘した。田仲さんによれば、首里城は一九七二年の復帰=再併合で国立大学となった琉球大学の跡地に一九九二年に再建された。その国有財産が消失して政府が再建するのは当たり前。お願いすることではない、と疑問を呈す。「私がアメリカから帰った時に、母校の琉球大学跡地に首里城再建の話があった。『首里城再建ではなく、琉球大学を再建しよう』と新聞に書いたら批判された。首里城跡は私にとっては琉球大学のあったところ。そもそも首里城は琉球王国の支配の象徴であって、沖縄の大多数の農民や漁民、庶民は縁が無かった」「人々の感情が、国民一丸となった気分の中で、吸い上げられるような仕組みになっている〈首里城フィーバー〉は、〈天皇フィーバー〉とどこかでつながっているのではないか」と論じた。
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田仲さんは最後に、「日本の外に出て、アジアをつなごう」という李泳采さんの若者への呼びかけに共感を示した。「思考方法の変換が必要ではないか。『アジア』というときに自分を外に置いていないか。日本も沖縄も脱植民地化の流れを止めてしまう構造に置かれている。アジアの冷戦構造は終わっていない。世界で何かが起きると沖縄の基地がうるさくなる。戦闘機や爆撃機が飛び交い、空母が近くにいる。このように世界と沖縄は結びついている。その状況が脱植民地化の動きを妨げている」「脱植民地主義というと、かつて植民地だったところの人たちとどう連帯していくのか、と考えてしまいがちだが、大間違い。脱植民地主義というときに一番考えなくてはいけないのは、宗主国の側だ。植民した側、つまり日本だ。そのことを抜きに韓国は、沖縄は、アイヌは、アジアはと考えるのは、スタート地点から間違っている。そこをどうにかしないといけない」。田仲さんは、二〇年ほど前に国際会議で会ったときに台湾の友人から言われた「日本は、自らを第三世界としてみる必要がある」という言葉を紹介した。「彼らから日本を見るとそういう風に見える。自己中心的な語り方から抜け出し、アジアの内側から世界を見ることが必要ではないか」。もちろんこれは〈加害―被害〉の重層構造と無縁ではない〈沖縄〉自身に向けた問いかけでもあるだろう。
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田仲さんの「脱植民地化を一番考えるべきは、植民地化した宗主国の側、日本だ」という言葉に虚を衝かれた。二人の問題提起から、脱植民地化に向かう韓国ろうそく革命と沖縄の自立解放闘争の行く手に大きく立ち塞がっているのが日本国家と「日米同盟」に他ならないことが改めて浮かび上がってきた。問われているのは私たち自身の闘いだ。「日本の外に出て、アジアをつなぐ」「アジアの内側から世界を視る」―それが東アジアの未来を切り開くヒントとなる。シンポジウムを終えて、そんなことを考えた。
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(2019年12月25日脱稿)

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