国際人権法から見た沖縄の自己決定権(講演録)

講師 阿部浩己・神奈川大学法科大学院教授)
2015年12月3日横浜市開港記念会館にて
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 翁長知事が、9月に国連人権理事会でスピーチしました。「沖縄の人々の自己決定権がないがしろにされている。」と強く訴えた。自己決定権というのは国際人権法上の言葉でもあります。沖縄のことは沖縄の人たちが自分たちで決める、決定することができる。国際法はそれを保証している。

1 ヤマトの研究者がなぜ沖縄の「自己決定権」について論じるのか
(1)仲里効氏の論から
 仲里さんというのは、沖縄を代表する知識人であり思想家の一人です。彼の書いたものを紹介することから始めたいと思います。1995年の少女レイプ事件後、沖縄において大きな変化があった。一つが沖縄の政治的主体が創出されたこと。二つ目に沖縄の歴史の見直し、再発見がある。そして一番強調されているのが沖縄のアイデンティティの自覚、作り直しが、1995年の少女レイプ事件後急速に深まっている。そう指摘しています。
これまで沖縄は本土との関係において植民地主義的な支配を受けている、たびたびそのような声を本土に向けてあげてきた。しかし、1995年の少女レイプ事件後20年間の沖縄の運動のあり方は、「本土に向けて声を出していく」というよりは、自分たちのアイデンティティを作り上げていく。つまり本土に向けていく以上に、自分たちが出した声を自分たちが自己の内なる声として聴き取る段階に入っていった。これを象徴する言葉として自己決定権という言葉が台頭してきている。
(2)日本問題としての沖縄問題
この自己決定権は、日本本土からの、あるいはアメリカからの強い圧力を受けて、沖縄のアイデンティティが作り上げられていく過程で登場してくる言葉です。この沖縄の自己決定権が創出されるにあたっては、ヤマトの側は当事者として関わってきている。
沖縄をめぐる諸問題は、一言で言うと日本問題です。同時にアメリカを含めた日米同盟の問題であり、米軍の専有施設が沖縄に集中しているという事態、非常にいびつな事態が沖縄に広がっている。しかしそれは急に起きたというより、時間をかけて本土から海兵隊の基地が沖縄に移転していった、その結果としてある。本土から、本土の人たちが米軍基地はいらないという声を上げた結果として沖縄に米軍基地が移転していった。
つまりその自己決定権を掲げて声を上げている沖縄の人たちが一番問題視している基地問題は、本土との関係で生じている問題であるということ。沖縄の基地の問題は本土の問題であり、ヤマトの問題だと捉える必要がある。このような事態を作り上げているのが日米同盟であって、日米安保条約は日米両国の意思が合致して作られている。日本の自発的な受け入れとして米軍の基地は日本にある。本土は強い負担を沖縄に課している。その意味で当事者性を私たちは持っている。こうした当事者性の中で見逃してはならないのは、なぜ沖縄に基地が集中するのか。なぜ本土で米軍基地はいらないと言うと沖縄に基地が移転していくのか。それは本土と沖縄の関係が対等な関係ではないものとしてあることを意味する。本土の方が強い力を持った非対称な関係として関係付けられている、植民地主義的構造がある。これはヤマトの研究者としてとても見過ごしにできない。
もう一つ大学の果たす役割について言いたい。国際人権法の研究者が沖縄の大学には存在しない。大学自体の植民地主義的構造があり、声を出しにくいような雰囲気があるのではないか。そのような中で、私のようなヤマトの国際人権法の研究者が沖縄問題に取り組む意味、必要性が一層あると思います。

2 歴史の紡ぎ直し~「琉球処分」から「琉球併合」へ
(1)東アジアへの国際社会の拡張と国際法の適用
本土と沖縄との関係が対等ではない、植民地主義的構造にある、と言いました。だからこそ、本土の側が米軍基地はいらないと言った時に、その基地が沖縄に行ってしまう。この植民地主義的構造はどのようにして作り上げられてきたのか。歴史を遡って確認しておきたい。
先ほど、「歴史の再発見」が1995年以降沖縄の中で起きているという仲里氏の指摘をご紹介しました。沖縄の世界史的な位置づけについて、歴史をどのように再発見していくのか、見直していくのか。歴史をどのように語るのか。これまでの本土中心の沖縄の描き方から沖縄に主体性をおいた歴史の描き方が出てきている。それを象徴するのが「琉球処分」という言葉にかえて、「琉球併合」という言葉を意識的に使うようになってきていることです。
日本および琉球王国は、中国を中心とした中華秩序のもとで存在していた。その中国を中心とする東アジアの秩序というのは、ヨーロッパで生み出された国際社会と別個の存在としてあった。
国際人権法や国際法はヨーロッパで生み出された国際社会の法であり、いま世界全体を覆っています。どのようにして国際社会がヨーロッパ以外のところに広がっていったか。東アジアは中国を中心とした、朝貢し冊封するという秩序があった。しかしヨーロッパと違って領域、主権という概念がなかった。つまりヨーロッパ的な考え方とは違う秩序が東アジアにはあった。それが19世紀の後半になってヨーロッパの国際社会、国際法が東アジアに及んでくる。この神奈川はまさに国際社会に日本が組み入れられていく起点となった地です。1853年にペリーが来航し、1854年に日米和親条約という条約が結ばれる。日本が主権国家として初めて締結した条約です。このあたりから日本は、中国中心の東アジアの秩序からヨーロッパ中心の国際社会の中に組み入れられていく。国際法が日本にも適用されるようになっていく。その第一歩になったのが日米和親条約です。これによって日本の5つの港が開港させられた。寄港する米国の捕鯨船に燃料を補給するとか、そういうことを約束した。
この日米和親条約を日本がどうして米国と結ぶことができたのか。ある国会議員が質問主意書で政府に問いかけた。政府の回答は、「日本は主権国家だったから日米和親条約を結ぶことができた」というものだった。日本は1854年の時点で主権国家の条件を整えていた。だから条約を結ぶことができた。日本は1854年の時点で独立国家として国際社会に存在していたことを政府の公式見解として出してきた。
その同じ1854年、実は米国は日本だけではなく、琉球王国と同じような内容の条約を結んでいる。琉米修好条約という条約です。1855年には琉仏修好条約を結んでいる。1859年には琉蘭修好条約を締結した。つまり1850年代に琉球王国は三つの条約を結んでいる。琉球王国がなぜこれらの条約を締結できたのか。先ほどの日本政府の公式見解に照らしても、答えは明らか。琉球王国が主権国家としての条件を整えていたからです。条約を結んだという事実があるだけではない。琉球王国の1850年代、60年代、70年代については歴史学者が深く研究し、紹介しています。それらの文献を通じて明らかになったのは、少なくともその時点において、琉球王国は日本とは全く別個の政治的な実体として存在していた。つまり日本の法が琉球王国には及んでいない、琉球王国独自の法秩序のもとにあった。日本の支配を受けていたわけでもない。清国の支配を受けていたわけでもない。島津藩との関係で弱い立場に置かれていたようにも見えるが、しかし島津藩の支配下にあったわけではない。王国独自の法秩序を持っていた。国家として存在するに十分な条件があった。故に、米国やオランダやフランスと条約を締結することができた。そういうことが歴史的な事実から明らかになってきた。1850年代、東アジアには日本という国と琉球王国が存在していた。このように歴史の紡ぎ直しが行われるようになってきている。
(2)不正―植民地主義的構造の起源
このように歴史を語り直すということが、どのような意味を持つのか。
もし、1850年代、60年代、70年代に日本と琉球王国という別個の国が存在していたとしたら、一体いつ、琉球王国は日本の国の一部になったのか。これまでのヤマト中心の歴史の認識では、1879年に最終的に「琉球処分」という形で沖縄県が設置されて、琉球王国が消滅したと言われている。この「琉球処分」という言葉は、「上位に立つ者が下位に立つ者に対して懲らしめる」という意味合いの言葉です。つまり日本の国内の出来事だという印象を作り出す上で、「琉球処分」という言葉は効果的な言葉かも知れません。私たちはヤマトで歴史を勉強してきましたが、琉球王国という別個の主権国家が存在していたというふうには習ってこなかった。「琉球処分」という形で、もともと日本の一部であった琉球が沖縄県になったとされた。琉球が清国との関係を断ち切れと言われたのに断ち切らなかったので懲らしめを受け、沖縄県という形で日本の行政区域に編入された。そういうふうに習ってきた。
非常に暴力的なかたちで「琉球処分」が行われました。松田道之という処分官が何度も琉球王国に脚を運び、1879年に、警察・軍隊を用いて一方的に「沖縄県を設置する」という申し渡しをした。そして首里城を接収する。藩王の尚泰を人質のように上京させる。
これはヤマト中心の歴史では日本国内の出来事という形で描き出されてきた。しかし先ほど話したとおり、1850年代には琉球王国という日本とは異なる国家が存在していた。そう歴史を描き直すことによって、「琉球処分」は日本国内の出来事ではなくて、国際的な出来事であったというふうに歴史を語り直すことができる。これは「処分」ではなく、日本による琉球王国の「併合」というふうに国際法的に評価し直さないといけない。「琉球処分」の言葉はカギかっこ付きで用いるべきであり、むしろ客観的には琉球併合と表現する方が正確です。
もし日本が琉球王国を併合したということになると、一体どんな根拠で併合できたのか、が問われてくる。国際法は他国を勝手に併合することを認めてはいない。正当な理由がないといけない。ところが琉球併合に関しては、国際法上の正当な根拠を見出すことができない。つまり国際法上の根拠を欠いた形で、暴力的に琉球王国は日本に編入された。琉球大学の波平恒男さんの『近代東アジア史のなかの琉球併合』(岩波書店2014年)、恵泉女学園大学の上村英明さんの『先住民族の「近代史」』(平凡社2001年)はこの方面の重要な研究成果です。
琉球王国は1879年に独立国家であったにもかかわらず国際法上の根拠を欠く形で日本によって暴力的にその領域の一部に編入された。それが歴史的事実であり、そのような評価を国際法上も与えないといけない。これが歴史の紡ぎ直しということです。琉球王国という別個の独立国家があり、これを暴力的に、すなわち植民地のような形で日本の領域に編入した。それが「琉球処分」と言われていたものの実態だった。このように自国よりも力の弱い国、力の弱い集団を強引に自国の領域に編入していくという植民地支配の方式は、後世に禍根を残します。1898年、アメリカが当時のハワイ王国を併合したわけですが、このハワイ併合の国際法上の根拠がない、として米国は100年後の1998年にハワイの人々に対して、ハワイの人々の自己決定権を侵害したことを認めて正式に謝罪した。
日本はこのように琉球との関係で大きな問いを突きつけられている。韓国とも日本の侵した植民地主義的な支配が国際法的な根拠があるかどうかを巡って、韓国の裁判所からも法的根拠がないという判断が出てきている。19世紀後半から20世紀にかけて日本の行なった営み、植民地主義的な領域の拡張について、ヤマトを中心にした歴史の描き方から、韓国や琉球といった編入された側の視点を組み入れた形で歴史を描き直していくということが行われる時代状況になってきている。

3 継続する不条理~日本の内なる植民地の実情
(1)米軍の沖縄占領
日本の植民地支配は今日に至るまで大きな禍根を残している。沖縄は日本の領域に編入されて以降、日本の領域の中にある内なる植民地として処遇されてきた。例えば第二次世界大戦期、唯一の地上戦が行われたのが沖縄ですが、敗戦後、アメリカが軍事占領します。これが今日の基地問題の原点です。軍事占領した状態が未だに続いている。
戦争である国がある国を占領する。国際法はそれ自体を禁止していない。しかし占領した側は国際法を守る義務がある。勝手に土地を収容することは許されない。ハーグ陸戦規則という戦時国際法の46条、52条に違反する形で、米軍は沖縄の土地を一方的に接収し使用し続けている。収容された人々は、国際法に違反して土地を取られているのだから賠償を求める権利がある。このことは本来日本政府が主張すべきことだが、日米両政府とも知らぬ存ぜぬを貫いている。ここに非常に大きな不条理がまた生み出されている。
沖縄の問題は星の数ほどあるが、その不条理の一つが琉球併合、もう一つが米軍の土地の接収です。
(2)サンフランシスコ平和条約・日米安保条約の発効
1952年に日本は独立し主権を回復します。この日本の主権回復は、沖縄にとっては全く別の出来事だった。日本が主権を回復したその時から、沖縄は米国の統治下に置かれることになった。沖縄は、日本の主権が及んでいるのだけれども、それは潜在的な状態であって実際には米国が統治する。日本の主権は潜在化してしまい、眠ってしまい、実質的には米国が支配する。これは「潜在主権」と言われています。こういう状態が1952年から沖縄に生じた。1972年の「復帰」までは沖縄には日本国憲法の適用がなかった。米国憲法の適用もなかった。すなわち沖縄は憲法の番外地に置かれた。そこで機能していたのは、日米安保条約のもとで締結された行政協定であり、日米地位協定という米軍に優先的な地位を与える国際条約が沖縄を支配する法的根拠になっていた。
米軍の基地が日本にあっていいのか、日本は憲法9条で一切の武力を放棄しているではないか。この点が全面的に争われたのが、砂川事件です。1959年の日米安保条約改定の直前の最高裁判決で、米軍駐留については司法的判断ができないと最高裁が宣言することによって実質的に基地を置いていても構わないという判断をくだした。これ以降、米軍駐留が憲法違反かどうかについては、司法的判断ができないということによって、既成事実として進んでいく。その判断の背景に、当時の田中耕太郎最高裁長官、彼は国際司法裁判所でも活躍された方で、国際的にも日本を代表する法律家として最も著名である方の一人だが、この田中耕太郎氏が最高裁判決を導く過程において、米大使、公使と協議を重ねていたことが明るみに出てきた。法律家として、裁判官として決してやってはいけないもっとも悪質な行為を犯した。その重大な罪を背景に最高裁砂川事件判決が下され、米軍の日本駐留は既成事実化していく。日本の司法の歴史に残る最大の汚点と言える。
(3)沖縄返還
1972年に沖縄が日本に返還されたことによって、沖縄に日本国憲法がようやく適用される時代になっていく。これは多くの人々が望んだことでした。しかし日本国憲法の平和主義は、沖縄においては一度も実現することがなかった。むしろヤマトの平和主義を実現するための人柱のような存在として1972年以降も使われ続けてきた。返還されても収容されていた土地は返ってこない。むしろ私有地を基地として継続使用を可能にするような法改正が国会で行われる。大田昌秀知事の時に強制使用の代理署名を拒否して裁判になり、ヤマトの利益を体現する日本の司法部は沖縄県の主張を退ける判決を下す。日本の司法部は、1959年の最高裁砂川判決がそうであるように、沖縄に対して憲法を適用することを阻害してきた。
いったい誰が裁判官をやっているのか。日本の司法部を構成している人々は誰なのか。日本社会のエリート層が司法部を構成している。そのような人たちが抱いている価値観、世界観、正義に対する感覚、こうしたものが実に鈍磨をしている。多様な人間が法曹界に入っていかないといけない。いろいろな人たちが司法部に入っていかないとヤマト中心の、あるいは日本の支配的な社会集団の利益を体現するような判決が連綿と出てくる。このように行政府と並んで司法部も、沖縄に対して不条理を課す罪深い役割を果たしていたことを強調しておきたい。

4 自己決定権の規範構造
このような中で、1995年の少女レイプ事件以降の新しい事態が展開する。仲里氏の言葉を借りれば、「政治的主体が創出され、歴史の見直しが始まり、沖縄のアイデンティティの創り直しが始まった。」そしてそれを象徴する言葉として自己決定権という言葉が出てきた。この自己決定権という言葉を使って沖縄のことを論ずる意味合いは何か。一つは、沖縄の基地をめぐる問題をどのように認識するか、その認識枠組みを転換していく大きな力になっている。沖縄の基地問題は国の安全保障の問題であり、一地方自治体が判断できるわけがない。代執行訴訟の第1回で政府側代理人がそのように発言したようです。まさに政府は沖縄の基地問題を国の安全保障の問題として考えているのかもしれない。しかしこれは自己決定権の問題だと語り直すことによって、国の安全保障問題ではなく、人権の問題であり、人間本位の安全保障の問題だというふうに考え方を転換していくことが可能になる。
(1)あらゆる人権保障の基本となる自己決定権
自己決定権は国際法のどこに根拠があるのか。国際人権規約は、人権を保証する国際法の中で最も大切な規約と言われています。その国際人権規約の最初の条文に登場するのが、自己決定権です。国際法の世界では自決権という言葉で表現することが多かったのですが、沖縄の文脈では自己決定権という言葉を好んで使っています。第1条でこの自己決定権について規定しています。あらゆる人権保障の要に位置しています。

第1条
1.すべての人民は、自決の権利を有する。この権利に基づき、すべての人民は、その政治的地位を自由に決定し並びにその経済的、社会的及び文化的発展を自由に追求する。
2.すべて人民は・・・自己のためにその天然の富及び資源を自由に処分することができる。人民は、いかなる場合にも、その生存のための手段を奪われることはない。
3.この規約の締約国は・・・自決の権利が実現されることを促進し及び自決の権利を尊重する。

どうしてこの自決権、自己決定権が国際法の一番重要な人権規約の最初に出てくるのか。なぜあらゆる人権保証の基本として自己決定権が位置づけられているのか。この自己決定権、自分たちが自分たちのことを決めていくことを集団として実現していく前提条件を定めているからです。さらに言うと、外部からの干渉があったり抑圧があったりした場合にそれを払いのけるための法的な根拠になるのが自己決定権だということです。自己決定権は、集団の抵抗の権利なのです。この自己決定権が最も必要とされるのは、外部から、強い集団であるとか、強国から圧力がかかってきた時であり、自己決定権を前面に掲げて圧力を排除していく。排除してようやくその集団の中に生きている人たちの人権が保証される。外部からの圧力が排除できないということになると、集団の中の生活や経済、社会システムのあり方がズタズタになってしまう。そうなるとその集団の人たちは自分たちが思ったような生き方ができなくなる。集団の抵抗の権利が保証されて初めて一人ひとりの人権の保障も可能になる。逆に言うと、自己決定権が語られる場面というのは、どこからか強い圧力がその集団にかかっているときでもある。圧力がなければ、自己決定権をわざわざ突き出す必要もなくなる。
この自己決定権を持っているのは、すべての人民、英語で言うとピープルです。誰がピープルを構成するか。人民とは誰か。二つの要素があると国際法的には理解されています。一つは客観的な要素で、共通の歴史的伝統、エスニック・アイデンティティ、文化的同質性、言語的同一性、領域的結びつきを持っている集団。それ以上に重要なものが主観的要素で、自分たちがひとつの人民であるという自己認識を持っているかどうか。これらを基準にしてピープルであるかどうか決定されていく。こういう人民は歴史的にどのようなところで確認されてきたかというと、典型的には植民地や外国の支配・征服・搾取下にある人々、それから先住民族や少数民族も人民として自己決定権の主体となれると考えられている。
(2)自己決定権の二つの側面
この自己決定権には二つの側面があります。内的側面として、ある集団が領域の中で自己決定権を行使する。集団に重大な影響のある問題について、政策決定を政府が行う場合には「自由な、事前の、情報に基づく同意」が必要とされる。内的な側面の一番重要なところです。外的側面は、独立につながる問題です。内的な自決権の強度の侵害が続く場合に、大規模な人権侵害が放置されると、最後の手段として自らが国家を構成する、独立していく。それが外的側面です。
もちろん国際人権規約は独立を推奨しているわけではない。本来、一つの国の中において、集団の利益がきちんと反映されるように、自己決定権をきちんと保証すべきだというところに力点を置いています。
(3)国際人権機関における、人民としての琉球/沖縄人
2001年以降、人種差別撤廃委員会、自由権規約委員会、国連人権理事会特別報告者によって、琉球・沖縄の人々の権利が何度も議論されてきています。少数民族であり、先住民族であると何度も認められてきている。先ほどの人民の二つの要素からしても、琉球・沖縄の人たちはピープルとして自己決定権を行使できる存在であることが国際法上も認められ、その結果として国際人権機関から持続する差別、軍事基地の集中が住民の人権の実現を妨げていることに対する懸念が表明されている。
日本は人権規約の締結国として琉球・沖縄の人々の自己決定権の実現を促進し尊重しなければならない。ピープルとして立ち上がってきている琉球・沖縄の人々に重大な影響を与える政策決定をする時には、国際人権規約第3条に基づき、琉球・沖縄の人々の同意を得なければならない。同意なき政策の押し付けは国際法に違反する。
(4)基地の建設・存続・移設
基地を造るということ、存続させるということ、移設させるということは琉球・沖縄の人々の自己決定権に深刻に関わってくる。同意が必要にもかかわらず、あらゆる選挙結果で明白なように、沖縄の人々は辺野古の新基地建設を拒否している、その基地建設を押し付けようとしている。
沖縄本島に広がる広大な米軍基地によって、琉球・沖縄の人々が経済的・社会的・文化的発展を自由に追求する権利が奪われている。基地があるがために経済発展の阻害要因になっていることも、実証的に明らかになってきている。基地の存続・建設は、琉球・沖縄の人々の自己決定権と正面からぶつかってくる問題であり、「自由な、事前の、情報に基づく同意」が欠かすことができない。その同意が得られているとはとても思えない。

5 辺野古基地建設をめぐって
昨日から福岡高裁那覇支部で代執行訴訟が始まりました。海を埋め立てることについて、仲井真前知事の承認を翁長知事が取り消した。この取消処分を巡って国が翁長知事を訴えた。他方において、沖縄防衛局が「私人」を装って、行政不服審査法に基づき国交相に審査請求を行い、審査中も工事を進めたいとして取消処分の「執行停止」も申し立てた。この執行停止が認められて工事が進んでいる。
国際法の観点から言えば、自己決定権を保証するような判断が、裁判所には求められる。もし司法府がこの代執行手続きを認めるとなると、司法府が再び沖縄に対する不条理に加担することになる。しかも国際法に反した形で加担することになる。そのようなことはあってはならない。
琉球・沖縄の人々は、とりわけ1995年の少女レイプ事件以降、自らの政治的主体性を創り出し、自らの歴史の再発見を行い、アイデンティティを創り直している。沖縄は日本本土に対して、何かを求めるのではなく、自らが自らのあり方を決めていく、そのような〈沖縄の自律〉に力強く踏み出している。この〈沖縄の自律〉を支えているのは、自己決定権の法理です。この自己決定権を突き出さざるを得ないということは外部から強い圧力がかかっていることだと先ほど述べました。その圧力を加えているのは日本本土であり、アメリカです。
沖縄に基地を押し付けることにより、日米安保が成り立ち、日本国憲法の平和主義が、いちじくの葉かもしれませんが、本土において形をなしている。沖縄が自立するということは、沖縄に依存した日本の安全保障のありかた、これを根本的に見直さないといけない。基地を造らせないということは、日本本土の側が、では日米安保をどうするのか、憲法の平和主義を実現するために沖縄に基地を造らせないという結果、本土がどのような負担をするのかという、自らに匕首を突きつけられるような問いを発せざるを得ない。その意味で、辺野古新基地建設を認めないということは、本土の側がどのような覚悟を持って安全保障の問題に立ち向かっていくのか、という問いを自らに突きつける。そういう厳しい局面になっている。まさにその意味において、沖縄の問題は日本本土の問題であると考える。
(当日の講演を編集者の責任でまとめたものです。)

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