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zoom RSS 4.9横浜/鶴見の集いの記録

<<   作成日時 : 2016/04/15 11:43   >>

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4月9日(土)の夜、鶴見沖縄県人会会館3階ホールにて、「オール沖縄と共に辺野古の埋立てを止めよう!4.9横浜/鶴見の集い」が開かれた。主催は「島ぐるみ会議と神奈川を結ぶ会」(以下、結ぶ会)、協賛団体として東京沖縄県人会・川崎沖縄県人会・鶴見沖縄県人会の三つの県人会が名を連ねた。参加者は約100人、県人会のみなさんの参加も目立った。会場のある横浜市鶴見区仲通は沖縄出身者が多く住む「沖縄ストリート」。会館の1階は沖縄物産センター。同センターのホームページによると、「1985年創業以来、沖縄の県産品、日常食材を中心に輸入品、お土産品、健康補助品、民芸品など約1000種類のアイテムを小売・卸販売」「店舗隣の通路には沖縄風景のポスターが貼ってあったり、地元鶴見の行事や関東近郊で行われる沖縄関係イベント、芸能関係イベント等の情報も発信」している。
http://www.okinawa-bussan.com/bussan/images/promotion.jpg
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開会前に、島ぐるみ会議と神奈川を結ぶ会が2月下旬に実施した「辺野古座込みツアー」の映像上映。結ぶ会の仲宗根保・代表世話人(鶴見沖縄県人会前幹事長)より開会挨拶があり、オール沖縄会議・共同代表の高里鈴代さんと沖縄2区選出の照屋寛徳衆議院議員より辺野古の現状と沖縄の闘いについて報告と問題提起があった。
高里さんは那覇市婦人相談員、那覇市議を経て、1995年の米兵によるレイプ事件をきっかけに「基地・軍隊を許さない行動する女たちの会」を結成するなど、女性の視点から沖縄の基地問題に取り組んできた。『沖縄の女たち』(1996年明石書店)の著書もある。島ぐるみ会議共同代表、オール沖縄会議共同代表を務め、毎週金曜日のキャンプシュワブゲート前行動の責任者でもある。前日の8日にはシュワブゲート前テントで開講されている「辺野古総合大学」の講師として「基地と人権」のテーマで講演してきたばかり。高里さんは、「和解受け入れ」発表当日のキャンプシュワブのゲート前の様子から語り始めた。3月4日が「サンシンの日」で、三線の演奏と琉球舞踊の厳粛な雰囲気の中に機動隊が暴力的に襲いかかってきたこと、その直後に「工事中止」のニュースが伝えられ、驚きと喜びの歓声があがったという。しかし「日米政府は辺野古を諦めたわけではない」と強調。訪米要請行動の成果も上がっていることを報告し、最後に「みなさんと共に頑張り合いましょう」と参加者に呼びかけた。
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照屋さんは1972年に弁護士となり、県議会議員、参議院議員、衆議院議員と、一貫して基地問題に取り組み、『ウチナーンチュときどき日本人』(2003年ゆい出版)『沖縄から国策の欺瞞を撃つ』(2012年琉球新報社)『憲法を求める沖縄捨てる日本』(2014年ゆい出版)等、著書も多い。最近著『壊憲に抗い不戦と護憲に生きる』(2016年ゆい出版)。照屋さんは、時折、ユーモラスな語り口で笑いを誘いながら、「なぜウチナーンチュは辺野古の基地建設に反対するか。それは悲惨な沖縄戦の体験、記憶の継承が底にあるからだ」と指摘した。そして「沖縄の未来はヤマトの官僚や政治家に決めさせない。沖縄が決める」と強調し、「辺野古の問題は日本全体の問題なのに、まだまだ無関心、無知が圧倒的。広く訴えていかねばならない」「政治家の使命は戦争をしないこと、戦争をさせないこと。一緒に頑張りましょう」と締めくくった。
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お二人の熱弁の直後に司会から辺野古支援カンパを呼びかけると、あっという間に43,343円のカンパが集まった。
協賛団体の東京沖縄県人会の島袋事務局長、鶴見沖縄県人会の儀保副幹事長から連帯挨拶。島袋さんは、昨年の6月に東京沖縄県人会として新基地建設断念を求める見解を公表したことを報告し、「力を合わせて反対を続けよう」と訴えた。儀保さんは読谷村で米軍基地と隣り合わせで暮らしていた少年時代の体験を振り返り、「基地は次世代の子どもたちに残したくない。一人の力ではどうしようもないが、みんなで力を合わせれば良い方向にいくのではないか」と呼びかけた。最後に司会が、結ぶ会として5月中旬に2回目の辺野古座り込みツアーを計画していることを報告し、「工事は中断しているが、辺野古の問題は終わっていない。新基地建設を断念させるまで、県人会のみなさんと力を合わせて、オール沖縄と共に闘いぬこう」と締めくくった。
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集会終了後は、椅子を片付けてテーブルをセット、県人会のみなさんの手料理が並んだ。結ぶ会の高梨代表世話人の乾杯の音頭から始まり、遅くまで交流を深めた。首里城を背景にした舞台で琉球舞踊や三線演奏もあり、最後はカチャーシーで盛り上がった。
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高里鈴代さん発言要旨

3月4日に「和解」で工事が中止になった。みんなで相談して18日から早朝行動を中断して、9時から16時までの座り込み行動を続けている。
3月4日は「サンシンの日」。仲宗根さん、鶴見では続けていますか?「サンシンの日」を守っていますか?(笑い)実は20年以上前から3月4日を「サンシンの日」として、沖縄だけでなく世界中で守っている。正午に、一斉に「かぎやで風」(沖縄本島で、祝宴の座開きとして踊られる祝儀舞踊)を演奏する。学校とか、いろいろなところで演奏する。昨年の3月4日の早朝に、シュワブのゲート前で「サンシンの日」を守ろうと、18人がメインゲートに座り練習を始めていた。そこに県警がやって来て、雨を防ぐために設置したビニールシートを「撤去しろ」と言ってきた。構わず演奏していると、強制的にビニールシートの柱を持ち上げてたたんでしまった。その時に18人の演奏者は、何事もなかったかのように演奏を続けた。たぶん撤去した機動隊員も恥ずかしい思いをしたのではないか。
今年の3月4日の早朝も、女性たちが「かぎやで風」の練習を始めた。機動隊がやってきて、舞踊が終わる間際に、女性をそのまま持ち上げて、鉄柵に運んだ。私もマイクを握った状態で運ばれた。その日午前中には3回も機動隊による「ごぼう抜き」があった。水曜日と木曜日の集中行動日のあとの金曜日はいつも「ごぼう抜き」が多い。お昼丁度に40人の演奏者が三線を弾き、20人の琉装の女性が踊り、ほかの参加者100人近くも「かぎやで風」を踊った。そのあとで照屋寛徳さんが「今、政府の和解受け入れの発表がありました。」と知らせてくれた。
この「和解」は、その後の安倍総理の発言にもあるとおり、辺野古移設をなしにする、沖縄の話を聞く、ということではない。「和解を受け入れる」が、「辺野古が唯一の選択肢」。オバマにも「急がば回れ」と説得している。いかにして辺野古新基地を実現するかという政府の姿勢は変わらない。だから、辺野古では現在も緊張した中で、座り込みが続いている。
昨年の夏も1ヶ月間の話し合いがあり、工事も止まった。その時は、政府としては安保法制の採決に集中する意味合いがあった。その時に座込みテントで「辺野古総合大学」を開設した。沖縄の歴史や環境問題などについて学習した。今回も、「辺野古総合大学」が始まった。昨日は、3日目で、1日目が新崎盛暉さん、2日目が糸数隆さん、そして私が話をした。
この沖縄の状況は、沖縄だけの問題ではなくて、日本の問題だが、なかなかそこにいたらない条件なり、障害がある。しかし国際的には辺野古の問題への理解が広がっている。昨年12月にはベテランズ・フォー・ピース(米退役軍人の会)のメンバー13人が沖縄に来た。1週間、ゲート前で座り込みをしていた。米国市民として、米兵の経験のある米国市民として行動した。その中のアン・ライトさんは陸軍大佐にもなった人だが、イラク戦争開戦に異議申し立てをして外交官を辞任した人だ。
昨年の7月28日に「島ぐるみ会議」ができた。今では沖縄各地に39の「島ぐるみ会議」ができている。その「島ぐるみ会議」の国連部会、訪米部会があるが、11月19日から1週間、24人で訪米した。その時にサンフランシスコのとなりのバークレー市議会を訪問した。バークレーでは沖縄を支援する決議をあげた。
http://ryukyushimpo.jp/news/prentry-249016.html
中身を見てさらにびっくりした。米国市民として、米国議会として何をすべきかをとてもよく考えている。バークレー市民も当事者だ、と言っている。辺野古に建設されるものは巨大な米軍基地。埋め立てられる大浦湾には、世界一大きいアオサンゴの群落もある。米軍基地であるならば、米国も当事者であり、米国議会も責任を持つべきだと言っている。この決議に喜び、バークレー市民に会いたいと思って訪問した。その情報がサンフランシスコ市議会にも伝わっていた。またアジア太平洋系アメリカ人労働組合(APALA)の代表が私たちの訪米日程を聞いて、「幹部会に出てください」と招待を受けた。朝について、午後3時に行った。すると私たちが到着する前に、幹部会で沖縄を支援する決議が採択され、米国内の関係団体に知らせていく。連邦議員にも伝えることになった。日本の連合に逆輸入するような形で、米国の労働組合が沖縄支援決議を出してくれた。訪米の大きな成果だと思う。
16人の連邦議員の補佐官にもあった。アン・ライトさんが細かいアドバイスをしてくれた。議員のスケジュール担当の秘書に直接メールを送ることも教えてくれた。アドレスも教えてもらった。翁長知事が承認取り消しをして、裁判になっている。米国にも伝えたいので訪問するというメールを送った。議員の部屋にポスティングもした。最後は訪米団でホワイトハウスの前で、「辺野古ノー!」のアピールをした。
これからしなければいけないのは、「急がば回れ」という安倍総理に対して、「辺野古ノー」という沖縄の意思は変わらないことを、引き続き米国に伝えることだ。
「島ぐるみ会議」があるのになぜ「オール沖縄会議」ができたのかというと、知事が政府に訴えられる、裁判闘争になるのをしっかりと支えようと政党、企業、経済界を網羅した形で結成された。裁判の口頭弁論の日には、裁判所前に1000人2000人の市民が結集して、知事の陳述の背後に沖縄県民の民意があることを示している。
冒頭の映像で、結ぶ会のみなさんが機動隊に「ごぼう抜き」されていた。みなさんが「ごぼう抜き」を経験されて、けが人は出ませんでしたか(笑い)。オール沖縄ができて、救護班、弁護団もできている。初めての人は「機動隊が怖い」という人もいる。「怖いこと」を共有することが大切だ。ある女性は「今までは辺野古に行っていたが、早朝は初めて。ごぼう抜きされたらどうしよう」と言っていたが、上着がめくれた時に、基地反対の文字が見えるようにシャツを着ていた(笑い)。疲れたら休む。そばで機動隊の「ごぼう抜き」を見ていることも、証人としての意味がある。またみなさんと頑張りあいましょう。(拍手)
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照屋寛徳さん発言要旨

はいさい。仲宗根保さんに電話を入れて、「最初から最後までしま言葉でいいか」と聞いたら、それは困る。2割くらいはいいが、あとはヤマトグチでと命令されました。(笑い)
仲宗根さんと知り合ったのは、もう40年以上前、私が20代後半で、弁護士の頃に知り合った。40年ぶりにお会いした。彼は僕より5つ若い(笑い)。
なぜウチナーンチュは辺野古新基地に反対するのか。辺野古大浦湾の海上で、シュワブ前のゲートで座り込んで、暑い日も、寒い日も闘い続けるのか。このことをまず考えてみたい。おそらく、辺野古新基地建設反対の闘いの底には、71年前の悲惨な沖縄戦がある。当時の沖縄人口の4分の1、12万余が命を奪われた。20万人余が尊い命を奪われた沖縄戦、これが根っこにある。辺野古で島袋文子さん、90近くなるおばあが、あの沖縄戦で島尻に追い詰められて、「水が飲みたい」と池を見つけて水を飲んだら、死人の赤い血が浮かんでいる水だった。こういう経験を多くの県民がしている。
沖縄戦が終わって、27年間米軍支配の下で、日本憲法が全く適用されない無憲法下に置かれた。基本的人権、政治的自由、権利も認められなかった。こういう時代が27年間続いた。きょうパスポートを持ってきた。これが私のパスポート。このパスポートがないと、川崎にも鶴見にも東京にも行けなかった。往来の自由も渡航の自由もない。1972年5月15日に復帰をした。44年間、憲法は適用されたが、さらに憲法より上位にある日米安保条約の適用で現実は変わらなかった。いまだに米軍、軍隊の運用が県民生活よりも優先される。こういう日常を強いられている。その中で、辺野古大浦湾、シュワブの闘いは憲法で認められた、ウチナーンチュの個人としての尊厳、幸福追求権をかけた闘いであり、憲法で認められた地方自治の精神を活かしていく闘いである。憲法13条に、すべて国民は個人として尊重されるとある。ところが、いまの沖縄の現状は、個人としての尊厳、幸福追求権が認められないから、みんなわじわじして、お爺もおばあも、若い人も、子供連れの人ももんな一緒に闘っている。沖縄の自己決定権という言葉が使われるが、1995年の戦後50年の節目に参議院議員に初めて当選し、それ以来、国会議員として言い続けているのは、沖縄の未来は沖縄人が決める。ヤマトの官僚や政治家には決めさせない。ウチナンチュウが自らの未来を決めていく。そういう政治を作りたいために頑張ってきた。11年前に脳梗塞を発症して、鈴代さんは英語が達者、私はウチナーグチが上手(笑い)。
ウチナーンチュはいつから日本人か。これを国会の予算委員会で質問すると通告したら、官僚が飛んできて、「難しいから答えられないので、質問しないで」と言ってきた。それでも聞いてみたら、答えは、「明治31年、1898年からウチナーンチュは日本人です」。さすが法務官僚と褒めた。しかし褒めて叱るのが照屋寛徳(笑い)。「明治30年に沖縄に徴兵令が適用されて兵隊を徴用している。天皇の臣民でもない沖縄人を日本兵として徴用したのか」。こう尋ねたところ、官僚は返事ができなくてうつむいている。都合のいい時にはウチナーンチュも日本人だといい、都合の悪い時は日本人じゃない。そこで私は、「ウチナーンチュときどき日本人」という本を書いた(笑い)。
そして、あの2009年に民主党政権があって、民主党政権に当初社民党も連立していたが、辺野古問題で離れた。鳩山宇宙人総理、菅空き缶総理、ウチナーンチュを日本国民として扱っていますか。「もちろんです」。しかしそう言うが、憲法上の日本国民として扱われていない。だから毎日わじわじして、脳梗塞の後遺症が未だに続いている。
あの辺野古の新基地建設は、歴代総理、防衛省、外務省のみなさんは何と言っているか。あれは普天間の代替施設。代わりの施設と言っている。ところが実際は、辺野古の新たな基地は、普天間の代替施設ではない。インチキで嘘っぱち。現在の普天間基地にない機能、しかも巨大な船が接岸できる岸壁や弾薬庫も備えた新基地。海兵隊が戦をするためだけの基地。お集まりのみなさんの税金で造られる。辺野古新基地建設に反対するのは、ウチナンチュウだけの問題ではない。日本国民全体の問題だ。決して、沖縄だけに押し付けてはいけない。自らの問題として、主権国家、独立国家日本の問題として考えるべきだ。国民の税金を使って海兵隊の新基地を作る必要があるんですか。ないでしょう。それで鈴代さんも私も毎日のように辺野古に通って闘っている。
2012年11月に県知事選挙で翁長候補が10万票の大差で当選した。知事選にあたって、イデオロギーよりアイデンティティ、そしてウチナーの将来は軍事基地に頼らない、誇りある豊かさを追求していこう。革新も保守もオール沖縄でまとまって、知事選を闘った。仲井真前知事や自民党国会議員らの公約破り、安倍政権に屈服し跪いて、ウチナーンチュの魂と誇りを売り飛ばした。これに対する県民の強い怒りが翁長知事を誕生させた背景にある。翁長県政誕生後の今日まで、沖縄の民意、知事選、名護市長選挙、衆議院選挙の結果も全く無視している。沖縄の声を聞かない。これが民主主義ですか。憲法で保証された地方自治ですか。違うでしょう。だから、翁長知事は、鈴代さんが言ったように、仲井真さんがやった辺野古埋め立て承認は、法律的に4つの瑕疵があるとして取り消した。これに対して国が代執行裁判をしてきた。3月4日、「サンシンの日」に私もゲート前にいた。サンシンの調べが響いた直後に、「政府が和解に応じた」というニュースが飛び込んできた。その瞬間は、なぜかわからなかった。
工事中断は私たちの闘いの成果だ。琉球新報、沖縄タイムスを丹念に読むと、裁判所の和解勧告文を読むと、このまま裁判を続けても国が負けると踏んだから和解に応じた。和解によって1ヶ月以上工事は中断している。半年以上、1年近くは工事は中断する。しかし、わたしたちは工事中断ではなくて、工事を中止させる。そこまで闘いを続けていかなければいけない。
辺野古では非暴力抵抗闘争が続いている。あの悲惨な沖縄戦の体験、継承が根っこにあると話したが、もちろん埋め立て反対、新基地建設反対は、命を育む美しい大浦湾を、珊瑚礁や豊かな生態系を守っていく。安全保障の問題よりも大きいのは環境問題。そのことを忘れてはいけない。もうこれ以上、沖縄に米軍基地の負担や犠牲の強要はまかりならん。常に声を上げ続けなければならない。辺野古新基地建設反対は、沖縄だけの問題でなく、日本国民全体の問題。きょうの集会はたくさんお集まりですが、ただ、残念ながら、まだまだ圧倒的に多くの国民は辺野古の問題、沖縄の問題に無知であり、無関心。悔しいけれどもそれが現実。だからこそこういう集まりを無数に作り上げて、辺野古で起こっている真実を伝えていかねばと思う。
百田尚樹というのがおったでしょう。「永遠のゼロ」という小説を書いた。自民党の国会議員と勉強会をして、普天間の軍用地主が六本木ヒルズにいて、たくさん軍用地料をもらっていると言った。全部嘘。実際は200万未満が75%。作家百田の沖縄に対する認識も理解も「永遠のゼロ」だ(笑い)。
県が国権地方係争処理委員会に申立をした。いずれ裁判になる。毎日新聞のインタビューで知事が、「最高裁で結論が出ても、次は埋立て承認を撤回をする」、こう言った。取り消しと撤回は違う。「最高裁の判断が出たら、県は従わねばならない。それが和解の精神」と言う人もいるが、あれは嘘。工事の変更申請の時に知事は承認を拒否する。3月4日は裁判所の和解であって、日本政府と沖縄の「真の和解」ではない。真の和解は、政府が新基地建設を断念するしかない。それは裁判闘争だけでなく、沖縄と県人会、多くの国民のみなさんとの闘いで実現すると思う。
残念ながら戦争法が成立し、施行されてしまった。私は地元紙からコメントを求められて、こう答えた。「戦争法の施行によって、沖縄は71年前のようにまた戦場になるであろう。一番犠牲を被るのは沖縄。沖縄戦のように捨石にされる。だから私たちがやるべきは、戦争法を、立場を超えて、立憲主義、平和主義、民主主義、地方自治を破壊する憲法違反の法律を廃止すること」。
私自身が、サイパン島の捕虜収容所で生まれた。私たちはもう、ウチナーンチュもすべての国民が、あの悲惨な戦争を繰り返してはいけない。政治家の最大の使命は戦争しない。戦争させないことだと思っている。その考えで、みなさんと一緒に、私も頑張ってまいります。よろしくお願いします。(拍手)
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東京沖縄県人会・島袋事務局長発言要旨

こんばんわ。東京沖縄県人会は、来年60周年を迎えます。60年前は米軍が強制収容するという土地問題が起こった。これに島ぐるみで、理不尽なことに抵抗した。当時は行き来できないので、沖縄から日本政府などに声を届けられない。それでは東京で現地を助けようということで、東京沖縄県人会ができた。もちろん県人会は平和団体ではない。会員の親睦、福祉向上が主な目的。芸能講演、文化歴史講演会などを続けてきた。1972年に復帰したが、実は基地は残り、問題は解決しない。県人会としては「平和で豊かな郷土作り、その発展に寄与する活動をする」と規約に定め、関心を持ち続けている。辺野古の問題で「オール沖縄」の動きが出てきた中で、自分たちの気持ちを表現しようということで、県人会として辺野古基地について見解を出した。見解の最後でこう言っている。「東京沖縄県人会は、50年、100年先の沖縄を見据えて、子どのたちや孫たち、これから生まれてくる世代のためにも「平和で豊かな郷土」を希求して辺野古新基地建設は不要であると考えます。 
辺野古のある大浦湾はジュゴンが生息し、貴重なサンゴが群生する素晴らしい海です。
沖縄の宝です。この貴重な自然財産を破壊し、将来に禍根を残すような新基地建設の断念
を強く要求します。」やはり辺野古はダメです。力を合わせて反対を続けましょう。(拍手)

(資料)「名護市辺野古への新基地建設問題に対する東京沖縄県人会の見解」
 米軍普天間飛行場の代替施設として日本政府は名護市辺野古のキャンプ・シュワブ沖に新たな基地建設を進めています。
今年は戦後70年の節目の年であります。沖縄は、戦後27年間米軍占領統治下におかれ、本土復帰から43年目を迎える今も、日本国内の米軍専用基地の74%が集中し米軍基地があるが故の事件や事故に沖縄県民は苦しみ続けており、「軍事基地は平和とは相いれないもの」と認識しています。
昨年の辺野古基地問題を最大の争点とした名護市長選挙、名護市議会選挙、沖縄県知事選挙、衆院議員選挙すべてにおいて「辺野古新基地反対」の圧倒的民意が示されました。
しかしながら政府は、翁長雄志知事による海上作業停止指示を無視し、作業を進めています。
こうした政府の沖縄県民の意思を無視した姿勢は、日本の民主主義と地方自治の根幹を破壊するものであり、もはや「辺野古」は沖縄だけの問題ではなく日本の民主主義のあり方が問われています。
東京沖縄県人会は、2013年1月に沖縄の全41市町村長が署名して政府に提出した建白書「オスプレイの配備撤回、普天間基地の閉鎖・撤去、県内移設断念」を支持します。
東京沖縄県人会は、50年、100年先の沖縄を見据えて、子どのたちや孫たち、これから生まれてくる世代のためにも「平和で豊かな郷土」を希求して辺野古新基地建設は不要であると考えます。 
辺野古のある大浦湾はジュゴンが生息し、貴重なサンゴが群生する素晴らしい海です。
沖縄の宝です。この貴重な自然財産を破壊し、将来に禍根を残すような新基地建設の断念
を強く要求します。
2015年6月6日                     東京沖縄県人会
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鶴見沖縄県人会・儀保副幹事長発言要旨

私は読谷村出身。ここ鶴見に36年住んでいる。18歳だった。あのころまだ、沖縄って何語?どこにある?よく聞かれて、ショックだったが、負けてたまるかという気持ちになった。。読谷村も基地の村。基地の真ん中で暮らしている状況だった。小学校の1キロ先で、実弾演習していた。道路を戦車も通る、ミサイルも運搬している。毒ガスのVXガスの運搬もあった。この時には危ないというので村から避難した。強く記憶に残っている。読谷飛行場のパラシュート演習もあった。ガジュマルの木に兵隊が引っかかって、「ハロー」なんて言いながら帰っていく。小学校の頃には、こんなこともあった。B52爆撃機が嘉手納飛行場から発進するが、爆弾を積んでいるのでなかなか高度が上がらない。すごい近くを飛んでいて、爆音がすごくて授業で先生の声が聞こえない。授業にならないので、先生が「外へ出ろ」と校庭に出て遊んでいた。実弾演習、戦車、ミサイルが通る、VXガス、今考えるとすごいところに住んでいたと考える。次の世代には残したくない。いつもテレビやニュースで沖縄のことはいつも気にしている。一人の力ではどうしようもないが、みんなが集まれば、全国で手を取り合っていけばいい方向になるのではと思う。ぜひ頑張りましょう。(拍手)
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