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zoom RSS 辺野古訪問記

<<   作成日時 : 2015/02/08 20:32   >>

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 1月下旬から4日間、辺野古に行ってきた。以下は、そのレポート。4日間の短い滞在だったが、辺野古でいま何が起こっているのか、その一端を見ること、感じ取ることができた。安倍改憲政権の戦争国家化と正面から対峙する最前線の闘いが、そこにある。私たちが首都圏でやるべきことは山ほどあるが、とにかく辺野古現地の闘いに触れ、沖縄の人々の思いを感じ取ることが先決。現地に足を運んでみることをオススメする。

1月29日(木)
 東京では10度以下の真冬だったが、那覇に着いた途端に20度以上のポカポカ陽気。重ね着を何枚か剥がしてキャリーケースに収納。那覇空港からレンタカーで沖縄自動車道へ入り、名護へ直行。許田の道の駅で食事をとって辺野古についたのは13時すぎ。漁港のテント村でヘリ基地反対協代表の安次富浩さんに地元・神奈川で集めたカンパを渡す。
 シュワブの浜から水平線を見渡すと、大きな海保の巡視船が何隻か、海と陸の抗議活動を威圧するかのように配備されている。辺野古のお年寄りが、「まるで沖縄戦の時の米軍艦船のよう」と語っているのも頷ける。
 歩いてシュワブゲート前の座込みテントに向かう。昨年7月にゲート前行動が始まってから3回目の訪問となる。年明けの1月中旬から24時間の監視体制となり、新ゲート右側の歩道に寝泊りのできるりっぱなテントができている。「殺人鉄板」が敷かれている旧ゲートは機動隊の車両で塞がれている。昼間のゲートからの資材搬入はほとんどない模様。船で運び込まれているという情報もある。
 「島ぐるみ会議」のバスが沖縄全島各地から運行されるようになり、昼間のゲート前は賑やかだ。沖縄平和運動センター議長の山城博治さんのリードで、沖縄各地、全国各地からの参加者の発言、唄ありダンスありのアピール行動。時折、ゲート前で警備員やその背後の機動隊、沖縄防衛局職員に向かってシュプレヒコールを浴びせる。国道を通り過ぎる車の窓から手を振る姿も見られる。
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 山城さんを先頭に、新ゲートから基地のフェンス沿いに第二ゲートを通って辺野古弾薬庫方面まで1キロほどのデモ行進。基地内を流れる美謝川を過ぎて、キャンプシュワブと弾薬庫の間に入り込み、弾薬庫ゲート側でシュプレヒコール。シュワブと弾薬庫は駐屯部隊が異なり、完全に分離されている。
 大浦湾方面の作業船の様子もよく見えた。巨大なクレーンを装備した船と重そうな資材を積載した台船が並んでいる。きょうは20トンのコンクリートブロックを4個、珊瑚礁の海に沈めたという。これに抗議する辺野古ぶるー(カヌー隊)と、暴力的に弾圧する海保の攻防は激しかった模様。27日から始まったコンクリートブロック(アンカー)投下作業だが、それほど進捗してはいない。海保は武装した巡視船13隻、特殊ゴムボート30数隻など最大規模の動員体制で防衛省の強硬姿勢を全面的に支えているが、作業の遅れは隠しようもない。
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 昼の行動は16時過ぎに終わり、座り込みテントには夜の監視体制を支える人たちが入れ替わりやってくる。日が沈むと気温が急激に下がり、ゲート周辺はかなり冷え込んでくる。夜は5度前後か。差し入れの夕飯を済ませ、マキストーブを囲んで談笑タイム。その輪の中に、県会議員、名護市議会議員、国会議員がいるというのも沖縄ならではの光景だ。参議院議員の糸数慶子さんは「寝袋議員」と自称している。選挙の時だけ地域(地元)に顔を出すのが議員の仕事ではない。闘いの現場に身を置くことで人々の怒りや叫びの奥底にあるものを掴みだし、課題を人々と共有化し、人々を代表して政治の場(議会)に提起する。少なくとも沖縄では、代表制民主主義が生きている。
 0時頃、差し入れの美味しい雑炊をみんなで食べてから、交替で深夜から明け方にかけての監視体制に入る。

1月30日(金)
 東京都の温度差は10度以上あるとはいえ、風が冷たく感じる。テントの泊まり込みには防寒着が必要だ。毛布と寝袋は用意されているが、持参した方が良い。寝ているとすきま風がピューピュー、布ずれの音、通過車両、酔っ払いマリーンの甲高い叫び声、ゲートから遊びに出るマリーンの車から流れる大音響のロックが眠りを妨げる。
 早朝4時半ころ、仮眠から目覚める。5時過ぎにキャンプハンセン方面から「パラパラパラ」と機関銃の射撃音。頻繁に国道を行き来する米軍の大型車両といい、これが軍事植民地沖縄の現実と改めて実感する。「人間の住む島」という意識は、軍の論理からは出てこないのだろう。
 きょうもゲートからの資材搬入の動きはなかったが、早朝と夕方の旧ゲート前集会に機動隊が介入。旧ゲートは機動隊の車両4台がぎっしりと並んで完全に封鎖状態になった。これでは簡単には資材搬入車両も入れない。
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 海上では巨大なコンクリートブロック投入作業が続き、抗議する辺野古ぶるー(カヌー隊)を海保が暴力的に規制。乗り込んできて船ごと拘束する、櫂を奪い取ってカヌーを危険な状態に陥らせる、リーフの外に放置する、といった悪質なやり方は以前と変わらない。早朝、大浦湾側の瀬嵩の浜にゲート前から繰り出して辺野古ぶるー(カヌー隊)を激励する行動も展開され始めた。

1月31日(土)
 旧ゲート前の早朝集会にいきなり機動隊が介入、排除してきて混乱。ゲート前に寄せていた車両が、初めて、駐車違反の切符も切られてしまう。日に日に規制を強めているのは確実だ。その後、新ゲートから入ろうとしている海保職員を乗せた車両発見、海上で指を負傷させられたKさんがちょうど居合わせたので猛烈に抗議。船上で海保に馬乗りされた映画監督のKさんもいて抗議集会が始まる。
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 11時過ぎに沖縄市、那覇市、うるま市から「島ぐるみ会議」のバスが到着して100人を超えたところで午前中の集会。うるま九条の会の仲宗根勇さんの『私は70歳すぎたけれど、60年安保の樺美智子になってもいい!』という激越なアジテーションは大受けだった。発言に聴き入る人々の真剣な表情に、沖縄の人々の怒りの大きさを感じる。
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 この日は海上でも大きな動きはなかった。辺野古ぶるーはフロートを超えて大型台船まで近づいたが海保のゴムボートは出てこなかった模様。台船から沈められた20トンもあるコンクリートブロックを確認し、台船には45トンのブロックも見えたとか。大浦湾は確実に破壊されつつある。
 夕飯は座り込みテントでバーベキュー。七輪やまきストーブに乗せたフライパンを囲んで30人ほどで差し入れの美味しい牛肉を食す。夕食時には、特に差し入れが多く、牛肉の後は大きなジューシーのおにぎり、パイナップル、アンダーギー、ムーチー、沖縄ケーキ、と次々と。10時過ぎには若者中心のカレーパーティーも始まった。沖縄各地からやってくる高校生や大学生など若者が増えているという。
 焼肉の匂いにつられたのか、警察管がゲートから駐禁規制に出てきた。私服の若い米兵も羨ましそうに通り過ぎる。歓迎されざる異国の地。彼らは、座込みテントに集まる人々を、どのような思いで見ているのだろうか。

2月1日(日)
 明け方の監視活動を終えてゲート前に戻ったところ、海上の作業船が動いているとの情報が入った。昨日の土曜日に海上作業がなく、海保の出動もなかったため、カヌー隊はきょうの日曜日をお休みとしていた。その隙をついて、作業台船からトンブロックを沈める作業が強行された。怒りの声が上がる。緊急行動で車数台に分乗して大浦湾の瀬嵩の浜まで二十数名で抗議に駆けつける。
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 大きな作業台船が瀬嵩の浜の目の前にいた。海保のゴムボートに守られて、巨大なクレーンでコンクリートブロックを釣り上げようとしていた。抗議船が一台だけ、頑強な海保のゴムボートに妨害されながら、抗議を続けている。
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 20トンから45トンの巨大なコンクリートの塊が海底にズシリと沈む姿を想像する。「奇跡の珊瑚礁」は、ジュゴンの餌場はどうなるのか。浜から怒りのシュプレヒコールを海保と作業船に浴びせる。背後の沖合には、武装した巡視艇が数隻浮んで睨みを利かせている。浜からのシュプレヒコールに気づいて手を振る抗議船のメンバーが見える。
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 瀬嵩の浜に咲く野花も、日々進む大浦湾の破壊の目撃者だ。
 抗議行動終了後に大浦湾の食堂で昼食休憩をしていると、この時の抗議船の船長さんと同乗していたメンバー5人に偶然遭遇。しばしエール交換。浜からの抗議行動の声が、船のメンバーには大きな激励になるという。こんな小狡いやり方をせざるを得ないというのも、防衛局が工事の遅れに焦っていることの裏返しだろう。
 昼すぎに辺野古を離れ、那覇空港に向かう。

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